生まれた環境

芸人のEXITの兼近大樹さんが素晴らしいコメントをしているので、関連情報も踏まえて、記事にしていきます。

 

2つあり、ショート動画なので気軽に見れるので是非見てみてください。

 

1 「生まれながらに悪い環境だったら」

2 「頑張れば稼げるのか?考え方の格差について」

 

この記事では

あらゆるスピ系の話しは度外しして書いていくのですが。

 

基本的に、人は生まれる環境を選ぶことはできません。

 

親が裕福だった/貧乏だった

一族が裕福だった/貧乏だった

生まれが貴族だった

生まれが天皇家だった

生まれがハーフだった

親が経営者だった

親がサラリーマンだった

 

と、あらゆる育つ環境がありますが、

子供は親を選ぶことはできませんし

生まれる環境を選ぶことはできません。

 

親が子供のためにできることは

我が子の育つ環境を出来うる全てを駆使して整えることですよね。

 

人生の選択肢は、常に自由に選ぶことはできますが、

お金を支払うことで手に入ることは数多くあるので

やはり、親が裕福だと自動で、子供の人生の選択肢は増えます。

 

例えば、習い事にはお金がかかり、

地域のサッカークラブならせいぜいかかる金額はしれていますが、

フィギアスケートとかだと他に比べるとかなりかかります。

 

というように、子供がたまたまスケートをやりたいとなったときに、親のお財布事情によって、どうしても子供の選択肢が広がったり、狭まったりという世界は存在するのです。

 

 

何が当たり前の世界で育ったのか?

 

食べるものにさえ困る環境で育つのか?

食べるものに困るという概念が生まれたことがない環境で育つのか?

親に毎日殴られる環境で育つのか?

親にひたすら愛でられて育つのか?

 

どちらの育ち方をしても

学校という同じ箱に入って社会を学びます。

 

学校という環境は一緒ですが

家庭という環境は全く違う。

 

それは大人になってからも一緒ですが、

この世界に同じ人は1人としていないように、全ての人は背景が違うのです。

 

だから、どんな人も背景に耳を澄ませるのです。

今、同じ環境だからといって

今、笑顔でいるからって

その背景には何があるのかは、分かりません。

 

当たり前に会社に出社していても、昨日大切な彼女と別れて、そのショックの中で働いているかもしれません。

当たり前に一緒に遊んでいる友達でも、実は両親が戦争状態で、家庭内では罵声や暴力が飛び交っているかもしれません。

 

 

学校によってどんな人が集まるのか?はある程度決まっていきます。

例えば、学習院大学は天皇さまも通うので、血筋がいいとパスできるし、素行が悪い人は近づきさえできません。

偏差値の高い学校に行けば、偏差値学習という面において、その偏差値以上の人が集まっています。

 

私立は学校に合わないと簡単に退学させられますし、

退学者が流れつく先は、公立の学校だったりします。

どっちがいいとかではなく、これは”仕組み”の話です。

 

 

特権について」という海外の実験があります。

動画は4分くらいですので、ぜひみて欲しいのですが。

 

内容はこうです。

みんなで徒競走をしよう。

ただ、この条件の人はスタートラインから2歩前に進んでください。

 

1、両親が離婚していない。

2、父親(役)がいる環境で育った。

3、私立学校に通ったことがある。

4、無料の家庭教師がいた。

5、携帯電話を止められる心配をしたことがない。

6、家計を助ける必要がなかった。

7、スポーツ特待生だからという理由以外で大学の学費を自分で支払わなくていい。

8、食べ物の心配をしたことがない。

 

前にいる人は、後ろを振り返ってください。

というと、そこには格差が距離として見える化されています。

 

ちなみに、

僕は高校は私立だったので1回だけ前に進むことができます。

それ以外は当てはまらないので、その場に留まる必要があります。

スタート時点でビリから2番目か〜。。。

 

 

・・・

 

自分の生まれ育つ環境はどうすることもできません。

そして、その環境に嘆くのは簡単です。

でも、その環境で育ったことを強みにできるか弱みにできるかは、自分次第でどうにもできます。

 

人生の全ては選択で、ハンデがあろうと、巻き返しはできます。

 

僕は貧困家庭で育ったからこそ、

高校生の時点でビジネスや経済の勉強を始めました。

勉強能力が皆無だったので、学習すれども全然成果は出ませんでしたが、スタートした時期は高校生でした。

 

父親が瞬間湯沸かし器で、何をきっかけでキレるのか分からなかったので、とにかく人を観察していました。

自宅では常に怒られるのではないかとビクビクしていたけれど、その能力は今も人を見る目として変換されているので、今に生きています。

別に嘆くことではないんですよね。

 

 

スタートラインが相対的に見て低くても全く問題ないです。

全ては自分次第。

 

 

それに、「優しい」という漢字は

憂いに寄り添う人 とも言えるし

人を百回愛する とも言えます。

 

天敵という概念がない鳥はいとも簡単に狩猟されたことから、アホウドリと命名されました。

周りが敵だらけで育ったとしたら、その敵に囲まれて生きてきたからこそ、どう生き抜くかという思考が育っているし、アイデアがたくさんある。

それは、いずれ自分を守る力になるし、大切な人ができたときに、守りたい人を守る力にもなる。

 

ので、

やはり、劣悪な環境で育ったとしても、それは将来に生きるわけです。

 

スタートラインが恵まれていなかった勢の皆さん

人生こっからですよ〜

やったりましょう。