目の前の人に優しさを向けられる世の中になるだけで、
この世界はもっと温かい社会になるのだと思う。
海外のとある映像を見ました。
お子さん・お父さんの2人がバスに乗り込む。
バスの中で子供は騒いでいて、お父さんはそれを注意しない。
それを見かねた乗客が
やあ。少しは子供を注意してもらえないかな?
と声をかけると、
あ、、、とぼーっとした答え。
そして、
昨日、ちょうど妻を亡くして、これからどう生きていこうかと考えていたんだ。
この子にはまだママが亡くなったことを伝えられていないんだ。
そうなのか・・・
なんか、ごめんね。そのことに気づいてあげられなくて。
と、そんな映像だった。
側から見れば、
子供が大騒ぎしていても全く関心も寄せないお父さん。
でも、違う角度から見たら
たった1人の最愛の奥さまを亡くした男性。
どちらも同じ人で
その人をどの角度から見るかによって、全く違う顔が浮かび上がる。
これを見た時に、
まさに、僕たちも一緒じゃないか、と思ったのです。
当時、僕は本当に尖っていたので(今もかw)
満員電車に乗っているサラリーマンの皆さんに対して
この死んだ魚のような目をしやがって。
と、クソ生意気に思ってしまうような自分でした。
でも、
この見方が完全に変わりました。
ある人は、大切なご家族のために、毎日満員電車に揺られて、夜遅くまでお仕事をされているかもしれない。
ある人は、大切な彼女に夜会いに行くために、昼間は集中して仕事をして少しでも早く上がれるようにしようと意気込んでいるかもしれない。
ある人は、これから病院に行き、大切な誰かのお見舞いをしに行くのかもしれない。
ある人は、せっかくの休みで、朝っぱらから遠出のために電車に乗っているかもしれない。
などと、
一人一人の人生には
その人それぞれの世界があり
その全てが、正しい。
僕が生意気にも
意見を言えるような方は1人もいらっしゃらないのだ、と思ったのです。
このように、
どんな人にも、帰る家があり、大切な人がいて、趣味があり、親がいて・・・
と背景を感じられるようになってから
自然と、自分の親のことも、1人の人間として見る視点を手に入れました。
僕の父親は、本当にロクでもないやつだった、とずっと思っていましたが
初めての父という立場を彼なりに全うしていたし
大切な人が亡くなりそうになったことで、ちゃんと心を痛めて消耗し、そのことで酒に走ったりしたのはマズかったけど、でも、1人の人間としてグッと踏ん張りつつも、僕のことを大切にしてくれていた。
でも、ある時に、プッツンと自分の限界を超えてしまった時があって、
それからは、何というかもう、家族は機能しなくなりましたが
それもなんだか、すごく人間臭く見えてきたんです。
こう思えるまでに、
僕もずいぶん長い時間と、精神の発達が必要でした。
さすがに、大人さがないと
こうは捉えられないな〜と思うんですけれど
この世界の捉え方
どんな人にも、その人なりの人生があるという背景を感じる力に目覚めた時に、
本当に、生きるのが楽になったのです。
自分の一方的な思い込みで、目の前の人に無駄に怒り続けていたり、
社会そのものをずっと恨んでいたり
自分自身に対しても最低だ、価値がないと責め続けたりしていました。
なんか、そうじゃねーよな〜と
そう思えるようになってからは
やっと、心に余白が生まれて、楽になっていったのを覚えています。
僕は、こうした
背景を感じる力、というものを
1人でも多くの人に持ってもらいたいと思っています。
そうすれば、
ただいま、の鍵を開ける音だけで、なんとなくその人の今の気分が見えたりする。
おはよう!の声色を聞くだけで、その日の調子が見えたりする。
こんなふうに、ちょっとでも、その人に気遣う、
という心配りの文化が、もっと根付いて行ったら、
この世界は優しくなって、温かくなるんじゃないかと思うのでした。